サンマ皿を買った。
サンマ皿だぞ?サンマの皿。
食洗器には入らない。長すぎる。
”サンマの”とつくぐらいだ。
他の魚ではその長さは必要ない。
”サンマ”専用の皿だ。
しかも、サンマは1年中食べることは出来ない。
知っての通り、「秋」だけに許された魚だ。
いくらサンマが大好きな家庭でも、1年の中で1つの季節にしか食べることを許されない魚はサバやサケのようにたくさん食べることは難しい。
そんなサンマのためだけの皿を買った。
はっきり言って、秋以外はお蔵入りすることは目に見えている。
だが、サンマのためだけの皿を買った。
そんなサンマの皿を使う時が来た。
皿も初出動だが、サンマも初サンマである。
今年はまだ時期が早いのか、サンマはややお高め。
だが、買い物かごに無表情で入れる。
言わなくても分かるだろうが、せっかく買ったサンマ皿を使いたかったからだ。
もはやサンマを食べるために皿を使うのか、
サンマ皿のためにサンマを買うのか、
目的がごちゃごちゃになっているのは言うまでもないが、ここは目をつぶって欲しい。
どことなく細見に感じるサンマを少しお高い値段で買った。
家に帰ると、サンマ好きな夫は喜んだ。
この男もまた、
皿が使いたいのか
サンマが食べたいのか
自分でも分からなくなっているに違いない。
そして、夫がサンマを塩を振って、焼いてくれた。
ひやおろしの日本酒も開けた。
盃を傾けつつ、サンマの身に内蔵を少し乗せるようにして口に運ぶ。
子どもの頃には分かりようもなかった大人の味だ。
苦みがうまいなんて、思いもしなかった。
大根おろしには醤油を垂らすも良いけれど、レモン汁を垂らしてさっぱりと頂くのも気に入っている。
最近は醤油よりも、もっぱらレモン汁派である。
話は変わるけれど、
私は焼き魚を前にすると異常なほど目の前の魚にすっかり夢中になってしまって、気が付くと頭、背骨、尻尾を残すのみになっていることが多い。
夫はそのすっきりと身の無くなった魚の姿に少なからず憧れがあるようで、一生懸命になっている。
憧れるあまり、私に食べ方を聞いてくる。
そうすると、私はサンマに一心に集中することができずについつい教えてしまう。
そうすると、
いつもなら我ながら驚きの速さで魚が消えていくが、夫によってゆっくりと食事と食事中の会話を楽しむことができた。
サンマの皿がなかったころは、どうやっても頭と尻尾が皿からはみ出してしまってサンマは湾曲していた。
夫もさすがに湾曲していた状態で綺麗に食べる努力は出来なかったようなので、私の箸ばかり忙しなく動いていた
が、
サンマの皿を買ったことで状況は変わった。
流石サンマ専用というだけあって、サンマは湾曲することなく背筋をまっすぐに伸ばしている。
結果として私はサンマをゆっくりと味わうことができるようになった。
サンマ皿、凄い。(※個人の意見です)
その日は、サンマを食べながらこれからの2人の将来について語り合うことができた。
お酒の力も借りて活発な意見交換が行われ、今後の未来に明るい希望が持てたような気がする。
この手の話はいくら時間があっても足りないように感じるもので、いくら秋の夜長といってもどんどん夜も更けていった。
こんな夜もたまには良い。
サンマの背筋を伸ばすに留まらず、
食事中の会話をもたらし、
夫婦に明るい未来を見せるとは。
サンマ皿、凄い(※個人の意見です)
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